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■みどりちゃんの西遊記3 (『おちゃめクラブ』94.10月号)
ニーハオ! とうとうやって来ました、中国は北京! 6年前とは大違い! 自転車がビュンビュンは変わりないけど、車がビュンビュンには驚きました。黄色いタクシーの他、個人のものらしい車がかなりあるのです。町を歩いているお勤め帰りらしい女性はきれいなワンピースか、ブラウスにスカートといういでたち。以前はこんなにファッショナブルではありませんでした。ポロシャツにチノパン、テニスシューズという私の方がみすぼらしい感じ。経済の発展を実感しました。
ただし、ああ、やっぱり中国だなあと思ったのは西単という地下鉄の駅での出来事。自動券場売機がないので切符はすべて窓口で買うのですが、二列に並んで自分の順番がくるのを待っていたのに、あと5 メートルというところで急に列が崩れて人々が窓口に殺到し始めたのです。何が起こったのか始めはわかりませんでしたが、よくよく見ると二つ開いていた窓口のうち一つが閉まっているのです。窓口はガラスで仕切られているので中の様子が丸見えなのですが、中には6人くらいの事務員がいるんですよ!でもしらんぷり。それどころかおしゃべりしているんです。これにはあきれました。それでも何でも切符を買わなければ帰れない。一つしか開いていない10・四方の窓に4、5人が手をつっこみ、その窓にこれから買おうとする人が押し寄せ、運よく買えた人が人ごみから出ようとする大混乱の中、10分くらいかかってやっと5毛(毛はお金の単位。0.5元=約6円)の切符一枚を手に入れました。地下はエアコンも入っておらず、汗だくになって疲れ果ててホテルに帰りました。 北京には8月25日から9月1日までいました。ホテル暮しでしたが、ホテルは快適でした。テレビでは衛星放送で「じゃじゃ馬ならし」という少し前の日本のドラマを音声吹き替え+字幕つきでやっていました。もちろん中国語。ほかにも日本の漫画やドラマの吹き替えが多くありました。字幕がついていたので暇な時はずっとテレビを見ていました。北京では多くの友達と会ったのですが、一緒に食事をしてちょっとびっくりしたことがありました。薬膳料理を食べるというので喜んでついていったら、蟻やさそりの空揚げが出てきたのです!烏黒鶏のスープもあった。中国人は何でも食べるというけど、本とに食べるんだなあと感動(?)してしまいました。それでも蟻もさそりも挑戦して食べてしまった私。中国人を超えられるかも!?
さて、一週間の北京滞在も過ぎ、9月1日の朝早く天津行の列車に乗ることになりました。本当は知り合いの方が見送りに来てくれるはずだったのですが仕事で来られなくなり、スーツケースとボストンバッグ両方で40・あった荷物を一人でひきずってタクシーに乗り、北京駅に。駅の待合室までは何とか一人で荷物も運べたのですが、改札を通ったら長い長い階段…。下りの階段だったので一段ずつゆっくり降りて行ったのですが、見かねた他の乗客が何人も手伝ってくれました。列車を降りるときも、天津駅内の上りの階段も人が代わる代わる荷物を持ってくれ、とっても助かりました。駅を出ても列車で知り合ったおばさんがタクシーを見つけてくれ、乗るまで見ていてくれました。学校に着いてからは、学校が始まる1日早々に来る学生が少なく、また私が公費生だったためか、留学生事務所の先生が郵便局まで荷物を取りに行く(中国に郵便局から荷物を送ると、自分で指定の郵便局まで取りに行かなければならないのです。私は段ボール箱5個、計90キロの荷物を送りました)のを手伝ってくれ、4階の私の宿舎まで運ぶのまで手伝ってくれました。中国の人の優しさに触れた気がしました。
中国の大きな都市は、北京が古都の奈良に、上海が流行・情報の中心の東京に、そして天津が大阪に例えられているそうです。これがあたっているかどうかはわかりませんが、天津の町はこじんまりしていて、道がくねくね曲がっているのが特徴です。道も北京に比べて細く、車がそれほど多くない変わりに自転車がとても多く、自転車が庶民の足になっています。歩いている人の方が少ないくらい。でも自転車はゆっくり走っており、運動神経の鈍い私でもついていけます。こちらに来て中古の自転車を買いました。
授業は9月12日に始まります。言葉の勉強に来たのですが、今のところ言葉には不自由していません。それより困っているのは食事。学校内の食堂はあまり便利でなく、かといって町の一膳飯屋のようなところは不衛生で、私もすでに町で水ぎょうざを食べてお腹をこわしました。普通のレストランは日本に比べればずっと安いのですが、安い中国の物価に慣れてしまった私には高すぎます。自炊でもしようかなあ。
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